<注意>この作品は死ネタです。苦手、嫌いな方は回れ右してください。
「ねぇ、エド。」
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目を閉じればお前の笑顔も涙もすぐそこに思い描けるのに
「私、もうすぐ死んじゃうけど不思議と怖くないの。」
今にも折れそうなほど細い身体
死が近づいていると容易に想像できるほどだったのに
瞳は死を映すどころか、どこまでも、どこまでも、吸い込まれそうなくらい澄んでいた
「だってね、人はみんないつか死ぬでしょ?歳をとって死ぬことに変わりはない。」
余命残りわずかだと宣告され、多くの人が絶望し迫りくる死に恐怖を覚えるというのに
彼女はだから何だと言うかのように、その澄んだ瞳にたくさんを映した
恐れなど微塵も感じさせないその瞳
オレはいつも絶対的である死から逃げ惑っているのに、彼女はまるで駆け寄った子供を抱きとめるように死を受け入れた
「はじめは私も怖くて泣いたよ。たくさんたくさん泣いたよ。でもね、結局死ぬことは変わりないしそれに、死ってただの終着点なんだよね。
私はエドより早く着いちゃっただけの話。」
オレの頬に触れた細い細い手は母親のように温かかった
確かにそこにある生を伝える温度に、オレは、思わず泣きたくなった
「だからね、エド。私先に逝くけど何も悲しい事なんてないの。ただ肉体が土に還るだけ・・・それに忘れないでなんて我侭言わない。
死んだ後のことなんて考えても仕方がないことだもん。ただ私は今生きているだけ。それだけなんだよ。」
どうしてオレがのことを忘れることができる?
彼女が何をしたって言うんだ
人を殺してものうのうと生きているヤツだっている
人を人だと思わないヤツだっている
それなのにどうして彼女は
こんなに穏やかな笑顔をオレに向けてくれるんだ―――――
「だからエドも恐れないで。私の死を、そして死そのものを。そこに在るのは恐怖でも悲しみでもないから。」
彼女を奪っていく死をどうして恐れずにいられるだろうか
愛した女(ひと)を無常にも奪っていく死をどうして恨まずにいられるだろうか
「ねぇエド、人はなにに向かって生きているんだと思う?」
自身の死を知っても尚やさしく、つよく、そしてオレを受け入れてくれたは
ふわりと微笑って
眠るように死んだ
最後にみた微笑は
まるで春のように
あたたかく
そしてとても
「死に向かって生きているんだと、私はそう、思うの。」
美しかった
彼女の死は思っていたより呆気ないものだった
家族と呼べるような血縁も親しい友人もいなかった彼女の葬式はひっそりと行われ
そして彼女は土へ還った
温かかった手も
澄んだ瞳も
綺麗だった笑顔も
まるで最初からなかったかのように
けれどオレには
彼女との思い出が
彼女への想いが
彼女の記憶がある
瞳を閉じれば
温かい手も
澄んだ瞳も
優しい笑顔も
そこにある
オレはそれを誇りに思った
あとがき
まずは、主催者である里花さまにお礼を申し上げます。
そしてこの作品を読んでくださったみなさまにお礼申し上げます。さて・・・
この『天国への階段』なのですが、おおむねぱぱぱンダの伝えたいことは凝縮されています。これはあくまでぱぱぱンダの考えであるので
すが、人はこの世に生れ落ちそして死に向かって生きているのだと思います。それは決して諦めとかそう言ったマイナスからくるものでは
なくて人間が死ぬのは自然の摂理であり至極当たり前の事。なのでヒロインも「私はどうせもう死ぬのだから・・・」というマイナスな思
考はありません。
また、今回はエド視点(というよりエドの回想と言った方が良いでしょうか?)で物語を進めたのですが、文中にある「愛した女(ひと)」
とは母親であるトリシャと、ヒロインのことです。なんとなく念のため。
ヒロインの死後、二人はパラレルワールドで再会する・・・なんて話も浮かんだのですが、それは読者さまそれぞれの想像にお任せします。
最後にもう一度、ココまでお付き合いくださいましてありがとうございました。
2006年 9月30日 ぱぱぱンダ