カタン、カタ、ガタン!!

忙しそうに荷造りをしているを眉間に皺を寄せながら俺(鋼の錬金術師ことエドワード・エルリック)は見詰めていた。のふわりと揺れる柔らかそうな髪の毛。瞬間に己の瞼の裏に焼き付く彼女のうなじ。長い睫に透き通った瞳。美しい
 そんなは俺なんかに構っていられない程に凄く忙しそうにあっちへこっちへと足をあたふたと動かしていた。俺はそれを手伝わなかった。手伝いたくなかった。

 彼女は明日、中央司令部から東方に左遷するらしい。俺からすれば、左遷ではなく栄転にしか見えなかった。はただ、自分が中央で役に立たなかったんだろうと思い込んでいる。
 そうではないのに。マスタング大佐がの腕を見込んで無理矢理というか口を上手く滑らせて大総統に頼んだというだけの話なのに。(実を言うと、先日、そういう話をしているというのを噂で聞いただけなのだけれど。)
 因みにの地位は中尉だ。大佐なんかに刃向かうなんて行為は出来ないし、する筈もないし、する理由もない。
 昨日、左遷が決まった時にはアームストロング少佐やヒューズ中佐、そして同期のロス少尉に逢えない、と嘆いていた。しかし、その分、昔から仲の良いホークアイ中尉と同じ職場で働けるから良いかと開き直っていた。
 きっとそんな事も大佐はお見通しだったのだろう。余計に無性に苛立ちを感じる。大佐も、も大嫌いだ。

 俺は今、セントラルの軍施設の寮に居た。の隣室に住んで居て、賢者の石を調べ終えるまで当分其処に居ようと思っていたけど、昨日の夜、に部屋に呼び出されて、彼女の愚痴を聞いてその気持ちはガラリと音を立てて俺の中で崩れ去っていった。
 左遷の事をアルフォンスに言うと、アルは仕方ないとしか言い様が無いように見えたが、本人も相当落ち込んでいた様にも見えた。案の定、アルは今、自室に閉じこもっている。アルも俺もの事が好きだ。
 けれど、それなのにどうして置いて行ってしまう?どうして大佐の所へ行ってしまうのだろうか?俺達を置いて行って、どうして?

「エド、ごめん、そこ邪魔」

 明日が別れの日だというのに、は冷たく言葉を放った。当分逢えないと言う事だけで、永遠に逢えないと言う訳ではないのに、俺は酷く傷付いた。
 怒りなんて感情は、もうとっくに過ぎ去って行っていた。悲しみが胸を指す様に痛い。
 に指摘され、よろよろと弱弱しく足を進める俺には気付かなかった。未だ忙しなく足を、手を動かしている。
 その手を強く掴んだらは足を止めてくれるだろうか?それとも、その足を態と引っ掛けて転ばせたら東方へ這い上がれなくなる様になるだろうか?
 否、それぐらいではの決意は揺るがない。昨夜、は言っていた「例えどんなことがあろうと、軍を離れたくはない」と。そういえば以前、ブラットレイ閣下に一生の命を捧げたとも言っていた記憶がある。
 は誰を愛し、誰を見詰めているのだろうか?俺は気になって仕様が無かったが、けれど口を噤んでいた。これからもずっと、口を噤むつもりだ。そんな変な疑問を口に出したら女々しい事極まり無いのだから。

「エド、何そんな顔してるのよ、また逢いに行くから、安心しなさい? ・・・私だってルイ様やヒューズさん、それにマリアにも逢いたいもの」

 俺の仏頂面にやっと気付いていたのか、それともやっと荷造りを終えたのか、は俺に向き合ってにこりと微笑んだ。
 彼女のちっぽけな優しさが身に染みる。この笑顔が母親の面影を思い出してしまう。何故か解らないけど、凄く懐かしくて優しい笑顔。
 前々からには母さんの面影があると思っていたし、それにと母さんを何度も重ね合わせていた。の事が不思議と愛しかったから。
 けれど、俺を置いていくなんて、なんて勝手な行動なんだろう。軽率だ。軽蔑する。凄く。

「・・・いやだ・・・」
「・・・え?」

 こぽりと涙が落ちそうになって、顔を俯けて膝を顔に寄せた。ぎゅっと身を縮める。胸が苦しい。どうしてこんなに苦しい?どうしてこんなに愛しい?
 俯いたまま、弱々しく声をあげた。本当に俺って奴は女々しい。女々しすぎる。けれど、そんな事はどうでも良かった。
 それ以上にヘの疑問と不安で感情が満ち溢れていたから。

「どうして、は俺を置いていくんだ?」
「エド?」
「どうして、俺とアルを置いて行くんだよ!?どうして・・・どうしてだよ・・・俺はずっと・・・4人で幸せに暮らしていたかったのに・・・!!」

 父さんが行ってしまった時も。本当は行って欲しくなんかなかったのに、例え、研究で部屋に閉じこもっていても良いから傍に居て欲しかったのに。俺の傍に、アルの傍に、母さんの傍に。
 だから、母さんも逝ってしまわずに済んだのに。母さんも幸せでいてくれたのに。アルもあんな身体にならずに済んだのに。
 俺もと逢わずに、こんな狂うほど苦しく愛しくならずに済んだのに。こんなに胸を締め付けられる思いにならずに済んだのに!!

「怖いんだ・・・、俺・・・いつかお前を・・・縛り付けてしまうかも知れない・・・!辛いんだよ・・・・・・!!」
「・・・大丈夫よ、エドは良い子だもの。ずっと良い子だから、そんなことはしないわ」

 にふわりと包まれた。俺は無性ににしがみ付いてボトボトと涙を零していた。瞬間に安心しきってしまったのだ。
 は母さんの様な匂いがする。母さんの様な言葉遣いをする。母さんみたいな言葉で俺を安心させてくれる。本当に愛しい。けれど、それは恋愛という感情には本当に遠すぎて。

 その夜はボロボロにの胸元で泣き続けた。は母さんじゃない事は解っている。けれどが勝手に母さんみたいな事を言うから、重ね合わせてしまうんだ。
 そして願ってしまう。は母さんの生まれ変わりなんじゃないかと。そんなの理論的には俺よりの方が年上だし、在り得ない事なのだけれど、それでも願ってしまうほど。
 迷惑なんじゃないかと思うほどに俺はの胸で泣き続けた。はそれを全部受け止めてくれた。ずっと、彼女は俺を受け止めてくれていた。聖母の様だった。



ヒーローの



けれど俺は感謝している。こうしてに出逢えた事に。愛しい存在に出逢えた事に。大切だと思える女性に出会えたことに。
 その人がどんなに遠くを見詰めていても。